九州人

福岡の出版社、「九州人」のホームページです。

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コラム

「九州人でええじゃないか」

 仰々しい社名を付けたものである。8年前のことだ。その前年に2人目の子供が生まれ、東京での週刊誌記者生活に見切りをつけ、福岡に帰って出版社をやろうと決めたのだった。真っ先に浮かんだ社名が「九州人」。いや、それ以外は考えもしなかった、といったほうが正しい。それなりに、当時は肩に力が入っていたのだろう。いま改めて社名を口にすると、少し気恥ずかしいのだが…。

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 佐賀県牛津町生まれ、唐津市育ちである。18歳で進学のため上京、東京で18年間を過ごした。佐賀出身だから、「福岡に帰って」というのはおかしい。が、その頃連れ合いと縁が切れていた母は、妹と2人で東区に住んでいた。福岡には地縁もなく、友人もほとんどいない。しかし、長男である自分にとって、帰るべき地は九州・福岡しかなかった。

 韓国籍である。いわゆる在日韓国人3世というやつだ。物心ついた頃から親や親戚に「えいさく」と呼ばれ、育った。そのせいか、パスポートにある「ヨンジャク」という名は、正直、今だに他人のようだ。民族教育は受けていない。市立、県立の小中高と進み、差別されたという実感もない。むしろ、小学6年のときだったか、民族学校に通う東京の年下のいとこに「ハングルを知らないの?」と不思議がられたことのほうがショックで、そのときの戸惑いは今でも妙に覚えている。

 くずれ、である。大体が熱しやすく冷めやすい性格なのだろう。中学3年の時、所属していた卓球部を突然辞め、陸上部に入った。理由は何かあったように思うが、覚えていないから大したそれではないはずだ。大学時代はフォークソング研究会に入り、音楽に夢中になった。下手なりに曲を作り、ステージで歌うと褒めてもらえた。図に乗り、たくさん曲を作って歌った。たまたまコンテストで優勝し、それがきっかけで音楽事務所にも所属した。しかし、たった一度の挫折で投げてしまった。27歳のときだった。ミュージシャンくずれとして、業界紙に就職した。その2年後、今度は業界紙記者くずれとして、週刊誌記者になった。

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 東京では、ずっと「居場所」を探していたように思う。仕事には恵まれていた。というより、人に恵まれていたのだ。『週刊SPA!』『週刊テーミス』『VIEWS』3誌の専属記者になったのも、すべて友人の紹介だった。また、3誌とも創刊から関われたことも、貴重な経験となっている。業界には韓朝問わず在日が少なからずいた。韓朝名で仕事をする人もいれば、日本名のままの人もいた。いずれも民族意識をしっかり持ち、自分のテーマにこだわって仕事していた(そう見えただけかも知れない)。「日本人とも韓国人とも思えない自分は一体何者だ?」。そんな思いが日増しに強くなり、東京での「居場所」探しは袋小路をさまようばかりだった。

 その頃、青森出身の女房と出会い、長男が生まれ、生活の中で時間の流れ方が劇的に変わっていく。2年後、次男が生まれる。この頃だったと思う。自分の中で何かがパチンと弾けた。遅ればせながら、ステレオタイプの「在日像」にとらわれ過ぎている自分に、ようやく気付いたのである。「日本人でも韓国人でもなくていいじゃないか。九州で生まれ育ったんだから『九州人』だろが」。そう思い至ると、気持ちがフーッと軽くなった。

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 というわけで、社名は「九州人」に決めた次第。創業時に掲げたテーマは「アジア」「家族」である。が、アジア関連は今のところ1冊目の『アジア国際電話帳 〜96年版〜』だけ。2冊目以降はファミリー向けのガイドブックが続き、その流れで『九州のコテージ・ログハウス・貸別荘』『九州の本物温泉』など、現在は九州地区のガイドブックを主に刊行している。

 社員はいない。1人でやっている。事務所も自宅の1室だ。何故か? 商売が下手なのだろう、儲からないからである。自分としては「九州の人に必要とされる本を出し続けていく」ことが一番の目標だ。となると、現状では固定経費を削らざるを得ない。必然的にこの形態に落ち着いたが、もともとが記者だ。性に合っている。

 感謝したい人たちがいる。まだ1〜2冊しか出していない頃に快く本を置かせてくれた書店さん、取引を持ちかけてくれた取次店の担当者さん、いつ行っても気軽に相談に乗ってくれた福岡の先輩出版社さんたちだ。彼らに育ててもらったようなものである。足を向けては眠れない。

 もう1人、優しくしてあげなければいけないのは女房だろう。青森から福岡くんだりまでやってきて、甲斐性のない亭主を助けるべく、働きに出てくれているのだから。貧乏臭い話ばかりで恐縮だが、「女房が働きに出なくてすむ位の利益を上げる」ことが、当面のもうひとつの目標である。

(2003年発行の「はかた版元新聞」9号より。南 英作 記)